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ワタナベのワタナベによるワタナベのためのブログ

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どうもみなさん。こんにちは。
今回は定期的なブログの更新とは別に、

番外編

としてお送りします。
今後もたま〜に番外編をお送りしますのでお楽しみに。


「歴史探訪」
と題しまして、私が興味のある歴史的なスポットに訪れた記録として記事を書いていきたいと存じます。
言ってしまえば、日記ですね。

それでは記念すべき第1回目は何処へ歴史探訪したのか・・・


今回は二箇所を巡りました。

まず一箇所目。

「萬福寺」

場所:富山県砺波市太田1661


砺波市の苗加というところに小ぢんまりとしたお寺。
結構ネットではオススメの寺社仏閣ランキングに名を連ねていたので期待していたのだが、想像とは違い本当に質素な寺院でありました。

ただ、この萬福寺の一番の売りは何と言っても「山門」にあり!


もと城端町善徳寺に建立されていましたが、寛政12年(1800)、善徳寺に現在の桜門が造営されることになったので、翌享和元年、当寺に譲られました。 善徳寺は戦国時代の永禄2年(1559)、城ヶ端城主荒木大膳が城地を提供して招請したと伝えられ、この門は当時の城門です。

(砺波正倉より引用http://1073shoso.jp/www/index.jsp)


元々は違うお寺(城端別院善徳寺)にあったものをこの地に移設したんですね。
確かに中々の雰囲気はありました。
因みに富山県の有形文化財です。

県内では見られることのできない、特殊な薬医門と呼ばれる特徴があるらしい。

小さいけれども、今も残る戦国時代の貴重な山門が見れました。


萬福寺山門



萬福寺山門(横から撮影)



萬福寺山門(解説)





続いて脚を運んだのが、
「城端別院善徳寺」

場所:富山県南砺市城端405


南砺市の城端という場所にその寺院は建っている。
あれ?「城端別院善徳寺」って何処かでこの名前見ませんでした?
少しページの上をもう一度見てください。

そう、上記で紹介した「萬福寺山門」が元々あったお寺にも行ってきました!
やはり歴史は点ではなく、線で辿った方が面白いですから。

と、そんなカッコいい事言ってますが

①奇跡的に最初に行った萬福寺がまず行きつけのスーパー銭湯のすぐ近くだったこと
②城端別院善徳寺が実は出張先で借りてるアパートのすぐ裏だったこと

の二つの奇跡が重なってこうして歴史を線で辿ることができました。奇跡ってあるんですね。



 城端別院は真宗大谷派の寺院で寺号を善德寺、山号を廓龍山と号す。蓮如上人が吉崎に於いて精力的な布教をされていた頃、本願寺第五代綽如上人の孫である蓮真は蓮如上人の願いにより現在の石川県と富山県の県境にある砂子坂に文明年間(1470年頃)に一寺を建立し、蓮如上人を開基、自身を第2世とした。その後、布教活動とともに寺所を移転し、第5世祐勝の時代に現在の城端町に移転してきた。
 第6世空勝は本願寺と織田信長との石山合戦に参戦し、あくまで本願寺を死守しようとする教如上人(東派1代目)に協力し尽力を尽くした。この事が後の東西分派で善德寺が東派になる事や、江戸時代に於いて越中東方の最有力寺院としての地位や役割を果たす事になった。
 また江戸時代には加賀藩前田家の庇護のもと、越中の触頭役(頭寺)を勤め隆盛し、時には加賀藩主の子を住職として迎えることもあった。
以来、聞法の場として地域の方々に慕われ支えられて今日に至っている。
(善徳寺公式HPより引用http://www.zentokuji.jp/)


そんな城端別院善徳寺ですが、本来ならばそこそこ観光スポット的な寺院なのですが、現在大規模修復工事中でして、ほとんどの建造物を見ることができませんでした・・・。
しかも宝物館も工事の影響で何故か展示を中止していたという謎の事案が発生。
意気消沈で足早に帰路につきました。

しかし、山門も非常に立派でさすが彫刻に名を馳せている越中の造りだ!と感心したものであります。非常に大きかったし。

今度は工事が終わってからいきたい!と思いました。



城端別院善徳寺山門



城端別院善徳寺本堂



城端別院善徳寺宝物館説明





今回は富山県の歴史深い二つのお寺に行けました。
実はこの二つは非常に密接な関係があったんですね。
またにはこういう知られていない寺社仏閣に行くのも乙ですね。


さて、今回の番外編はこれにて終了。
次回はどこに出没するか乞うご期待!ということで。

アディオス☆

(笑)

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どうもみなさん。お元気ですか?
私は少しだけ元気です。
明日は土曜日ということでせっかく出張先にいるので、こちらで白川郷や五箇山の観光に出かけてみるか、以前の長期出張中に行きつけになったスーパー銭湯に行くか悩んでおります。どちらにいきましょうかね。
それは明日の更新時に発表します。


そんな本日ですが、「五月雨のはなし」をしたいと思います。



「五月雨」というと意味にピンとくるだろうか。
え?5月に降る雨のことじゃないの?
と思われる方もいらっしゃると思う。
まぁ、それもある意味正解。

本来の正しい意味は、

旧暦5月に降る長雨のこと。梅雨のこと。

という意味なのだ。旧暦5月というと、新暦でいう6月、そう今の時期なのだ。
もう、大体の地域が梅雨入りをしていることであるが、本当に梅雨の時期というのは最悪である。
ジメジメしてるし、晴れないし。

まぁ、そんな五月雨のはなしを少しだけ掘り下げようと思う。


五月雨といえば多くの方は次のことを連想するのではなかろうか。

「五月雨を あつめて 早し 最上川」

そう、これは松尾芭蕉が1689年に芭蕉自身にとって未知の国々や、僧侶である西行の足跡を辿るために出かけた「奥の細道」での一句である。

この句は文末に「最上川」とあるように、山形県の最上川を目にしたときに詠んだ句である。
実際には最上川を目にした、というより最上川を川下りしたときに詠んだ句であるという。
意味としてはそのまま
「梅雨に降る大量の雨で流れが早いよ、最上川」といったところか。

それもそのはず、最上川は日本三大急流の一つであり、特に梅雨の時期に増水した川の流れは非常に早いはずだ。
そのスーパーデンジャラスな最上川を舟で下ったというのだからすごい。

そんなスーパーデンジャラスな体験をしてこの名句が生まれたのだろう。


因みにこの句が最初に生まれたときは
「五月雨を あつめて すゞし 最上川」
だったという。
「五月雨がたくさん流れる最上川は涼しいなぁ」という風流な句である。
これは「あつめて 早し」の句が出来る少し前に山形の句会にて芭蕉が詠んだ句なのだ。

それを後日、最上川を川下りした芭蕉は以前の句会でよんだ「あつめて すゞし」を改案して「あつめて 早し」にしたのだと言われている。


なるほど、あの名句にはこんなエピソードがあったのか、と思わせるような話を一ついたしました。



その他にも「五月雨」と言えば、
ビジネスシーンでよく使われる「五月雨式」なんて言葉もある。
五月雨式とは、梅雨の雨のようにだらだらといつまでも続くとこと
を言う。
一つの案件を複数回に分けて連絡・報告した時や納品が分割されてしまったときなどに
「五月雨式ですみません」というように使う。

私はこんな小洒落た言葉を使ったことは無いが今後使ってみようと思う。



まぁ、実は「五月雨」という言葉も普段注目することはないが、実は注目してみると面白い、そんなお話しでした。


週末で疲れていてまとめがうまくできないけれどこれにて終了します。

ではまた明日!


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どうも、こんばんは。
ようやくテレビがない暮らしに慣れてきました。テレビがない生活も静かでいいものですね。
そんな悟った本日もセッセとブログ更新です。

なんと本日で記念すべき10回目。
と言うわけで10回目に相応しい話を!と力を入れて書きたいところですが、変に力を入れずにいつも通りなんでもないような事を書いていきます。

本日は「太郎太刀のはなし」です。



近年では若い女性を中心に「日本刀ブーム」なるものがきているそう。
大きな要因はゲームの影響で、今巷では物凄いことになっているらしい。
なんでも日本の名刀を“イケメン男子”に擬人化させ、それを女性がキャーキャー騒ぎ立てているのだという。

それがいいのか悪いのかはさておき、そういった日本独自の文化が注目されるのは良い傾向だろう。
今度は、ゲームの影響なんかではなく日本刀そのものの美しさや勇ましさ、そして、その日本刀にまつわる歴史やエピソードなんかに注目して欲しい。


で、本日のタイトルの「太郎太刀」の話に移る。
私はこの刀を見た事があり、見た時に非常に驚いた。
画像などアップするのが面倒ですので是非皆さんも調べて欲しいですが、もし見たことがある方がいれば共感してくれるのではないかなぁ、と思います。

この刀の特徴は何と言ってもそのスケール感。とてつもなくビッグサイズである。
何と刃渡りが221.5cmで重さが4.5kg。
通常の日本刀のは長さ90cm前後で、重さが1.5kg程度という事を考えればそのとてつもない大きさに驚くと思う。


この太郎太刀があるのは、愛知県名古屋市熱田区にある熱田神宮。
熱田神宮には三種の神器の一つでもある草薙剣が奉納されている事でよく知られている由緒ある寺社である。

数年前に私が行った時は、熱田神宮の宝物館を入ってすぐのところに展示がされていた。

とてもじゃないけどこんな刀持って戦えないだろうとは思ったが、誰も当時の戦さの様子は分からないので、それは歴史のロマンとして思いを馳せるのが良いだろう。


この太郎太刀を所有していたというのが戦国時代の武将、真柄直隆という人物である。
真柄直隆は朝倉氏の家臣で戦国時代きっての猛将として有名。
文献によれば身長は2メートルを超える体躯で、体重はなんと250kgだったと伝わっている。
因みに体重が250kgというとかつて大相撲で活躍した横綱、武蔵丸とほぼ同じであるのでとてつもなくヤバいことがわかるだろう。(武蔵丸は237kgだった)


そんな大男なら太郎太刀を片手に戦場を駆け抜けてたというのはありえない話でもない。
これこそ本当に歴史のロマンである。


さて、そんな真柄直隆も1570年の姉川の戦いで敵陣に太郎太刀を振りかざして奮戦するのだが徳川軍の前にて果てたのであった。


猛将の悲劇をも知る、戦国時代の変わった日本刀、みなさんも興味がでてきたでしょう?
是非、あなたの目で太郎太刀の大きさを確かめてみてはどうだろうか。

熱田神宮で是非ご覧あれ!
※石川県の白山比咩神社にも太郎太刀が奉納されており、それが真柄直隆が使用していたものとも伝わるので白山比咩神社にも行ってみよう!



ということで、本日はここまで。
日本刀を一つの美術品として見ても結構ですが、歴史的な背景なども知った上で鑑賞するのも面白いのかもしれません。


この夏は“熱”田神宮で、“熱”い夏を過ごしましょう!


今回は明日朝早いので少し早いけど終了。
おやすみなさい。


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夜分遅くにこんばんは。
出張先で借りたアパートにカーテンが無いので夜は特に外から部屋の中が丸見えで、メンタルが崩壊しかけていますが、本日も更新します。


そんな本日は新たなカテゴリーとして、「生物」についてのお話を一つ。
あらゆる生物の中でも今回は「トラのはなし」ということで、「虎」について語れたらな、と思います。



みなさんはこの世の中には現在何種類のトラがいるか、分類されているかご存知だろうか?
そんなのめちゃくちゃたくさんの種類がいるに決まってるよ、とお思いの方もいるでしょう。現に私も当初はそう思っていた。

調べたところなんと現在は

8種類

の亜種しか存在していないようである。



これが多いか、少ないかというのは各個人の感覚的なこともあると思うが私はめちゃくちゃ少ないと思った。

因みにそのトラの種類を全て列記すると、

・ベンガルトラ
・シベリアトラ
・インドシナトラ
・アモイトラ
・スマトラトラ
・バリトラ
・ジャワトラ
・カスピトラ

の8種類である。


その中でも私が1番思い入れがあり、熱く語りたいトラが

「スマトラトラ」である。


私とスマトラトラとの最初の出会いは遡ること約10年前。
中学1年生の頃であった。
当時(今もそうかもしれないが)私の中学校は1年次に遠足で東京へ出かけていた。

行き先としてはやはり中学校の校外学習的な意味合いも含めているので修学旅行のような観光的なスポットには行かずに博物館や美術館などを中心の行程であった。

やはり東京で博物館・美術館が多く集まる場所といえば上野。まぁ、定番だろう。
私たちの中学校も例外なく上野周辺で、東京遠足と銘打って実施された。

そして、上野と言えば「上野動物園」はかかせない。定番中の定番、ド定番。
もちろん、上野動物園にも行った。


当時中学1年生であった私は今よりも感性が豊だったこともあり様々な動物達を見てそのひと時を愉しんでいた。
中でも一際目を奪われたのが、そう「スマトラトラ」であった。

スマトラトラという動物に目を奪われたのではない。「スマトラトラ」というネーミングセンスに私は目を奪われ、心も奪われた。

「すごいネーミングだ。この名前なんとかならなかったのか。いっそのことスマトラでいいしゃん。」

そんな下らないことを考えながら、その遠足ではずっーとスマトラトラの名前に違和感を持ちスマトラトラのことが頭から離れなかった。


そんな私とスマトラトラとの衝撃的な出会いから早10年。
実はまだその違和感が頭から離れたことはなく、今もスマトラトラの名前については何か頭の片隅にひっかかりを覚え過ごしている。


何が言いたいかと言うと、
「スマトラトラって面白い名前だよね!」
ということ。



まぁ、実のところ今回「トラのはなし」と題したのもこのエピソードとスマトラトラっていう面白い名前のトラがいるということをお伝えしたくて強引に「トラのはなし」というタイトルにしたというのが実情である。


兎に角みなさんに今回知って欲しいのは

①トラって実はたくさんの種類がいそうだけどたった8種類しかいない

②「スマトラトラ」っていう珍妙な名前のトラがいる

という2点である。
とりあえずこれだけは知って欲しい。


さて、これから下は惰性というかどうでもいい話なので読まなくても結構です。




因みにスマトラトラはその名前の通り、インドネシアのスマトラ島に生息するトラであり、トラの中でも最小種の個体である。
スマトラトラは現在数百頭しか、生存が確認されておらず絶滅が危惧されている

日本でスマトラトラが見れるのは、私が衝撃的な出会いを果たした
・上野動物園 をはじめ、
・八木山動物公園(仙台市)
・よこはま動物園ズーラシア
・東山動物園(名古屋市)
・みさき公園(大阪府泉南郡岬町)
・アドベンチャーワールド(和歌山県西牟婁郡白浜町)

の計六ヶ所で見ることができる。
是非みなさんも生のスマトラトラに会いに行って欲しい。




スマトラトラは狭い檻の中でみなさんが来ることを待ってます。


スマトラトラの保護保全のためには、まずはスマトラトラを知ること、そしてスマトラトラの名前を広めることが遠回りかもしれませんが着実な第一歩だと考えます。


是非ですね、これを機に積極的にスマトラトラのこと、そして他の絶滅危惧種の動物達に目を向けて下さい。



眠すぎてそういった社会問題にも警鐘を鳴らしてしまいまい、話の着地点が不明確ではありますが本日はこれで終了です。

お休みなさい。




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どうも、こんばんは。
出張先でテレビが無く、孤独感と虚無感のダブルパンチで瀕死状態ですが、なんとかこちらだけは更新しようと頑張っております。本日もお付き合い下さい。

そんな本日は最近、地域の話を立て続けに行いましたのでもっと為になるような、明日誰かに話したくなるような話を書ければと思い執筆致します。

題して「鉄のはなし」です。


実は今回書こうとしていることは、「鉄」そのものの、本来の意味の鉄の事を書こうとしているのではない。
物質的意味での「鉄」のことでは無く、今みなさんが画面越しにみている「鉄」というビジュアル的な「鉄」についてのことを言っている。

そもそも鉄という漢字がどういう成り立ちで現在まで使用されてきたかご存知だろうか。
実は「鉄」という字が本格的に使用され始めたのは結構最近で、大凡1940年前後から使用をされてきたそうだ。
というのも、鉄は元々「鐵」の新字体であり1940年より以前は日本中の誰もが「鐵」の漢字を使用していた。

新字体は所謂、常用漢字というやつで昔の仰々しい複雑な漢字を分かりやすい簡略化された漢字に制定したのが新字体、と言えば分かりやすいだろうか。
例を挙げると

氣→気 國→国 體→体 壽→寿 縣→県

などなど、挙げればキリがない。
特によく見かけるのは名字で旧字が使用されているのことを例に挙げると分かりやすいだろうか。
櫻井さんの桜、廣瀬さんの広、濱口さんの浜など、これらも新字体ではなく旧字体がそのまま使われてい、という一例である。

おっと、話が脱線仕掛けているのでここで話を「鉄」に戻そう。
(私が旧字マニアなのはここだけの話です)

鉄も最近までは鐵であったので案外歴史は浅い、新参者というワケである。

そこで、みなさんはこんな話を聞いたことが無いだろうか。

「鉄という字は“金”を“失う”と書くから企業名での使用が避けられるている」

よくあるのが鉄道会社。鉄では無く鐵が使用されている事か多々ある。
例えば静岡県を走る「大井川鐵道」や北関東で、SLが有名な「真岡鐵道」なんかがその主たる例である。
他にも製鉄会社などでこういった現象は起きており、あえて鉄ではなく「鐵」を企業の正式名称として採用していることが多く見受けられる。

そこで、私も今回初めて知ったのだが
「あれ?JR各社って普通に“鉄”の漢字使ってるよな、さすがにJRともなればそんなこと気にしないんだなぁ」と思っていたが、みなさんJR各社の企業名をよ〜く目を凝らしてみてみて下さい。

全てのJRの鉄道の漢字が「鉃道」になっになっていることを確認できただろうか???

そう、金編に矢の「鉃」を使用しているのだ。

これには筆者も唖然、騒然。あのJRさんも「鉄」を避けていたのだ。



あれ、ちょっと待てよ、ではJRの前身の「日本国有鉄道」もそうだったのか!?と思い調べたところ旧国鉄はまさかのそのまま「日本国有鉄道」でした。

実はJR各社が「鉃」を使用したのは国鉄時代に経営困難で赤字に苦しんだ辛い過去からなんだとか。
つまり、国鉄時代から経営を一新しよう、という意気込みがあったワケである。




さて、いかがだったでしょうか。
今回の「鉄」の事例から見ても分かるように、日本は昔からこういった迷信染みたことが凄く多いと思います。
それが、何故だかは分からないし、お国柄と言ってしまえばそれまでかもしれないが、本当に些細な事を気にしすぎると、つくづく今回の事で思いました。

でも逆に言うと、そういった些細な事でも気にすることが出来ることって素晴らしいことなのではないでしょうか。
拘りを持っているという信念の強さや矜持。
いや〜、カッコいいですね〜。
私もそういった何か拘りを持った大人になりたいなと改めて思いました。



というわけで、本日は「鉃のはなし」をお送りしました。
最終的に少し結論がそれてしまいましたがそこはご愛嬌ということで、勘弁して下さい。

この時間になると本当に何書いてるんだか訳わからなくなるんですね。


それでは、お休みなさい。




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どうもこんばんは。
短期間ではありますが、出張に来たのにもかかわらず大事なものばかり家に忘れてしまい超絶ブルーな本日も頑張って更新します。

さて、本日も地域のカテゴリーでのお話です。
地域、というより地名と言った方がいいのだろうか。
本日は題して「鯨波のはなし」です。
それでは書いていきます。


前述したように私は本日から数日間出張。
場所は詳細には言えないが、その移動中に何故だかよく分からないが強烈に印象に残った地名というか駅名がある。
それが「鯨波」という駅名である。
鯨波は平仮名で書くとそのまま「くじらなみ」と書く。
うーん、やっぱり強烈な印象の要因はこの勇ましい字面であろう。
「鯨波」、うん、めっちゃ男らしい。
まさに海の男感が前面に出ている。
荒波の中を颯爽と泳ぐ漁師のようなイメージ。あくまでも個人的な意見だが。

因みに、「鯨波」は「げいは」と読むことも出来るが、鯨波というのは戦場であげる、鬨の声のことも言うのでそのような勇ましいイメージも付いてきてしまうのだろう。
(鬨というのは戦場を鼓舞するときの「えいえい、おう」のような掛け声のこと)


まぁ、鯨波というだけにやはりイメージ通り日本海の目の前に駅があった。駅舎も老朽化が激しそうで、長年の潮風に曝されてきたのが見て取れた。

そうそう、この鯨波が何処かというのをまだ言っていなかったが、鯨波駅があるのは新潟県の柏崎市という所。(大字が鯨波である)
柏崎市自体がパッとしないこともあり私の興味が無かったことも私が今までこのようなインパクトありげな地名に気がつかなった理由の一つかもしれない。


そんな鯨波駅を調べてみた。

①駅の目と鼻の先のところに「鯨波海水浴場」がある
②字面の逞しさと裏腹に「日本の渚百選」に選ばれている
③つい最近まで「マリンブルーくじらなみ号」という洒落た特急電車が往来していた
④海水浴場に近く、無人駅ということもあり地元の人が水着でこの駅を利用する


ざっとこのような情報が仕入れられた。
夏には鯨波駅が海水浴客で満たされている情景が目に浮かぶ。
是非夏に行って見たいスポットである。

③の「マリンブルーくじらなみ号」はなんと2010年まで走っていた特急電車で埼玉の熊谷駅と柿崎駅を結んでたというから驚き。
しかも夏休みの一定の期間のみ。超レア電車である。
勿論、このマリンブルーくじらなみという名前、そして熊谷と柿崎を結んでいる、さらには夏休みの一定期間しか運行が無かったということを勘案して考えると、そう、この特急列車は関東圏から日本海側の海水浴場を結ぶ観光列車的なものであった。
悲しいことに東日本大地震の電力不足で消滅してしまったらしい。


なんかいいね、鯨波。
なんとも言えない懐かしさというか、子供の時に家族で行った海水浴の思い出が蘇ってくるような理想の渚。


こんな男らしい地名でも、家族の愛や夏の思い出を彷彿とさせる優しさ溢れるハートフルな場所だということが分かりました。

調べてみると実はギャップがある、そういうことをよく学べた夜でした。


さて、眠くて何書いてんだかよく分からなくなったので寝ます。
意味わからんくてすみません。


おやすみなさい。




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どうもこんばんは。
本日は初めてのカテゴリーである「地域」の話をしてみようと思います。
といっても、行ったことがない地域・場所についての記事を書くのも恐れ多いのですが。
でも、少し書いていきましょう。



私が中学生の時に流行った歌にその地名は出てきたのを記憶している。

あなた 追って 出雲崎
悲しみの 日本海
愛を見失い 岸壁の上
落ちる涙は 積もることのない
まるで 海雪

そう。外国人演歌歌手のジェロさんの「海雪」である。
サビに入ってすぐ、「あなた追って出雲崎」の
「出雲崎」
この地名について本日は執筆しようと思う。

中学生の私はずっと、「この出雲崎ってどこなんだろう?」とは疑問に思ってはいたがその当時は今のように気になったらすぐ調べる、という習慣はなく調べることもせずに時が過ぎて行った。
そんな折り、高校、大学と経て就職し、初めての赴任地が新潟県であった。

何気なく新潟で仕事をしていたある日、会社の人の「本日の予定」が書かれたホワイトボードを見ると
行き先:出雲崎
となっており、その時に私は

「あ!!出雲崎!?あの出雲崎か!?」

と頭の中のパズルの1ピースがはまった。
そう、あの出雲崎は新潟にあったのだ。

まさかの思わぬところでの不意打ちのような感覚。長年の小さな疑問が解けた瞬間であった。

そんな出雲崎は、調べて見ると「出雲崎町」という市町村だということが分かった。
正確には新潟県三島郡出雲崎町という。
まさかの三島郡は編入に次ぐ編入により今現在は三島郡には出雲崎町しかないそうだ。
因みに私が出雲崎を知ることになった「海雪」を歌っているジェロ氏は現在、出雲崎町の観光大使らしい。

そうそう、出雲崎と言えば江戸時代の著名な僧侶の良寛の出世地である。
良寛が特に何をしたのかということはあまりよく分からないが兎に角有名人らしい。
ただ一つだけ知っていることは「良寛牛乳」というローカル牛乳が新潟県内で販売されているということ。
なんかものすごい徳がある牛乳っぽい。
飲んだことはないが、見かけたら買ってみようと思っている。しかし、近くのスーパーには売っているのを見たことがないので未だ飲めないでいるのが悔しい。


うーん、今回はただただ出雲崎についてまとまりもなく謎知識を書いただけだが、少しは出雲崎の事について分かっただろうか(笑)?

え?何も分からないって?
そう言わないで下さい。
今回は私も本当によく分からないことを書いて申し訳なく思っています。
並びに、出雲崎の方々、こんな雑な豆知識でも何でもないことを書いて終了してしまおうとしている私をお許し下さい。

兎に角私が伝えたいことは、

良寛牛乳!飲みたい!

それだけです。

みんなも知る人ぞ知る、新潟のスーパーローカル牛乳「良寛牛乳」を飲んでみよう!


以上!!!

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どうも本日もお疲れ様です。
昨日は夜遅くまで社内行事で更新ができませんでした。
決して三日坊主ならぬ、四日坊主ではないので悪しからず!

そんな本日は「路面電車のはなし」というタイトルで執筆させていただこうと思っております。
念のためはじめに言っておきますが、路面電車についての話ということなので鉄道オタクなのかな?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが決して鉄道オタク、所謂 “テツ” ではありません。
でも、路線図なんかは一日中眺めて居られるのでテツの素質はあるのかも?
前置きはこれくらいにしまして、お話の方を始めさせていただきます。



本日(6/10)はなんの日かご存知だろうか?
私も全くしらなかったのだが、6月10日は
「路面電車の日」だと言う。
この路面電車の日の制定のあらましは、1995年に路面電車をもつ自治体がこの6月10日に「路面電車サミット」というサミットを開催し、
6(ろ)10(でん)=路電※(ろでん)
という語呂合わせから「路面電車の日」という記念日を設立した。
※路面電車の略

案外、最近に出来た記念日みたいである。


さて、ここで話を少し変える。
みなさんは「アントニオ・ガウディ」という人物をご存知だろうか。
恐らく、多くの人が耳にしたことがあるだろう。
彼はスペイン出身で、かの有名な「サグラダファミリア」を手がけた言わずと知れた20世紀を代表する名建築家である。
因みにサグラダファミリアは1882年に着工し、今現在も完成していない。完成予定は2026年という発表があるが、本当にその時に完成しているのかは不明である。

おいおい、なんでアントニオ・ガウディの話なんかしてるんだ?と、疑問に思っていらっしゃる方もおりますことでしょう。
勘のいい方は気づくかもしれませんが、本日(6/10)はアントニオ・ガウディの命日なのである。
おいおい、それでなんでアントニオ・ガウディの命日に路面電車が関係あるんだよ?とまた疑問に思う方もいるでしょう。
勘のいい方はお分かりでしょう。
そう、奇しくもアントニオ・ガウディの死因はなんと

「路面電車に引かれたこと」

なのだ。


事実は小説より奇なり という言葉もあるがこの話もなんとも奇妙な話である。

路面電車の日にはそんな恐い事実もあるんだと、ご紹介でした。
明日誰かに話したくなったでしょう?



さて、話を“軌道修正”しよう。

路面電車は軌道線とも呼ばれる。
そうこの「軌道修正」も路面電車に深く関わる用語だということもここで付け足しておこう。
現在、日本国内で稼働している路面電車は北は北海道、南は鹿児島で走っており19もの路面電車が街中を往来している。
(もしかしたら少し古いデータなので減っているかも・・・)

有名な路面電車を挙げると、東京の荒川区を走っている「都電荒川線」が有名であろうか。
実は今回この路面電車について調べていた時に知ったのだが、「東急世田谷線」も路面電車なのだという。
世田谷の大学に通っていたのに知らずに誠に恥ずかしい。

路面電車と聞くと昔に走ってたんでしょ?と私の年代からすると思ってしまうが、結構国内ではあちこちで走っているということがよく分かった。

因みに、私乗車したことのある路面電車は一つしかなく、富山県の高岡市と射水市を走っている「万葉線」しかまだ乗ったことがない。
今度、路面電車のある都市へ行って乗ってみたいと思う。

今私の住む新潟にもかつて路面電車が走っていたと以前聞いて驚いが、本当に昔は路面電車はかなりメジャーな乗り物だったのである。
今も新潟の白山公園の前を見てみると確かに停留所の名残というか、確かにここにあったのだろうという感じが分かる。


近年では排気ガスが出ないエコな乗り物として注目が集まっているらしい。
各自治体も、もう一度路面電車復活!なんかもいいのかもしれませんね。


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どうも、こんばんは。
本日もブログ更新です。
三日坊主になるわけにはいきません。
なんとか眠い中、4日目の執筆でございます。

本日も、好きなカテゴリーである歴史の話ではなく社会的なお話です。
題して、「公共職業安定所のはなし」です。


本日、私は仕事で近くの公共職業安定所へ求人を出させていただきに訪問した。
正直私たちの年代であれば公共職業安定所と聞くと
「は?公共職業安定所?どこ?」
という反応をする方が多いのではないかと思う。
※因みに私は二十代前半です。

公共職業安定所と言うよう、
「ハローワーク」と言えばピンとくるだろう。
そのハローワークへ行ってきた。
まぁ、いつも通り求人募集を求人のご担当者とお話をして求人を出す内容をお伝えして求人システム?的なものに登録していただいて求人を出してもらう、という大まかな流れでいつも通り求人を出していただいた。

こんな私の誰も興味のない求人募集の話をしたいのではなくて、ふと、ハローワークへ行った時に
「あれ?ハローワークってなんかナウい言葉だけどいつからハローワークって名称なんだろう?」
と疑問に思った。

話を少し戻すと、私たちのような人生経験の薄い年代は公共職業安定所なんて言葉は全くピンとこないし、ハローワークと平然と普通に呼ぶが中高年の方々は違う。
中高年の方々は平然と普通に「職安」と呼んでいる。

う〜ん、こういった現象が起きているということは中高年の方々はハローワークという言葉に馴染みが無いんだろうなぁと推測はつく。
ということはやはり、そんな横文字のナウい感じのこのハローワークという単語が生まれたのは近年になってからなのではないかと思った。

ここで、お得意のWikipedia先輩の登場です。

いつからハローワークという言葉が誕生したの?

ということについてリサーチしました。
すると、以下のようなことが書かれていた。



従来は、「職安」あるいは「安定所」という略称が広く使われていたが、1990年からは、一般公募で選定された「ハローワーク」という呼称が主に用いられるようになっている。正式名「○○公共職業安定所」は、対外的には「ハローワーク○○」と表記されている。
(Wikipediaより引用)


ほうほう。具体的には1990年から一般公募で「ハローワーク」という名称が採用されたのか。
ということは27年前。実は約30年も前からこの呼称で使用されていたことになる。
ここから推測するに、やはり結構多くの間ハローワークという呼称が定着しなかったんだなぁ、と考えられる。

個人的な意見だが、正直「ハローワーク」って呼称はなんとなくダサい。
なんだよ、ハローって。
直訳すると、「こんにちは!お仕事!」というなんともマヌケな印象を与えざるを得ない。
1990年にもっとセンスがある呼称を選定しろよ!というのは酷な話ではあるのでこの呼称がダサい問題はまぁ良しとしよう。
これも時代の流れだろう。
もしかすると、27年前は革新的な呼称として注目されたのかもしれないし、、、。
(あまり、定着しなかったことを想像すると当時もダサいと、思われていたのかなぁ)



と、なんともどうでもいい知識と私の憶測を書いてしまって本当に申し訳ないです。
次回はもっとセンスのある記事を書こうと思います。
ハローセンス!
グッバイトゥデイ!
グッドナイト!




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どうもこんばんは。
本日は第3回目の執筆です。

第1回、第2回と歴史?系のお話をしましたので今回は少し変わった事についてお話したいなぁ、と思います。
あ、因みに「です、ます言葉」と「だ、である言葉」が文中入り乱れておりますが本人気づいてますけれども読みやすい読みにくいはあれど特に気にしないでいただければと思います。

で、今回第3回目は「ビジネスネームのはなし」をしたいと思います。


社会人になって本当に初めて知る事が多すぎて正に毎日が“驚き桃の木山椒の木”状態である。
ビジネス的なことはどうしても学生時代には分かり得なかったことが毎日のように目や耳を通してドシドシ脳に入ってくる。
その中でも特に私が気になったのは今回とりあげる「ビジネスネーム」だ。

こんなポンコツサラリーマンでも頻繁ではないにせよ時々名刺交換をすることがある。営業職ではないので本当に稀ではあるが。

そんな折り、名刺交換をしてギョッとした事がある。
「何この名前!?!?!?」
ホストの源氏名かな?と思わざるを得ない何とも珍妙な名前。
どうやらその会社はビジネス上でビジネスネームを全社員が採用しているという。
そんな変わった会社もあるもんだなぁ、とその瞬間は思ったが実はこれって費用をかけないで多くのメリットが期待できるのではないかと後々思った。

やはり名前を覚えてもらうというのは中々大変だが、インパクトのあるビジネスネームなら確実に印象には残る。嫌でも残る。
名前覚えてもらうのが取引のファーストステップだと、営業をやったことがない私が言うのもあれだがそうなのだろう。

そして、兎に角この会社ってユニークな会社なんだな、とか結構ラフな会社だとか良いイメージを持たれるのではなかろうか。企業のイメージというのは中々上げるのは難しいし、そういった小さい事でイメージアップに繋がるのはコスパは最高であると思う。
個人的な意見としてはビジネスネームを付ける会社ってよく言う「ブラック企業」では無さそうだなとは思う。
それだけで大成功なのでは?と思う。


ただ、あまりにもふざけたビジネスネームだったりやりすぎたビジネスネームだと逆にヤバいやつだとかおかしな会社というレッテルを貼られるかもしれないが・・・



ビジネスネームで有名な企業を挙げると
建機レンタル大手の
レンタルのニッケン
なんかがビジネスネーム界?では著名である。
レンタルのニッケンでは
「会社は劇場、社員は役者」
という言葉を掲げて仕事に取り組んでいるのだという。
公私でメリハリを付けるというのが最大の目標らしい。
意外にも、社外に対しての要因を求めるのではなく社内に対する取り組みということに驚いた。
きっと、社員思いのいい会社なのだろう。



では、もし私がビジネスネームをつけるなら?
といつことを考えた時に何という名前にするかひたすら悩む。
芸能人になったらどんな芸名にするか?というのと同じ質問だと考えればなんとなくイメージしやすいが、、、。

うーん。何にしようかな。
と考えてもラチがあかないので
また、考えて後日発表致します。


さて、皆さんも会社ではビジネスネームを使用してみてはいかが?

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