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ワタナベのワタナベによるワタナベのためのブログ
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どうもみなさん。こんにちは。
今回は定期的なブログの更新とは別に、
番外編
としてお送りします。
今後もたま〜に番外編をお送りしますのでお楽しみに。
「歴史探訪」
と題しまして、私が興味のある歴史的なスポットに訪れた記録として記事を書いていきたいと存じます。
言ってしまえば、日記ですね。
それでは記念すべき第1回目は何処へ歴史探訪したのか・・・
今回は二箇所を巡りました。
まず一箇所目。
「萬福寺」
場所:富山県砺波市太田1661
砺波市の苗加というところに小ぢんまりとしたお寺。
結構ネットではオススメの寺社仏閣ランキングに名を連ねていたので期待していたのだが、想像とは違い本当に質素な寺院でありました。
ただ、この萬福寺の一番の売りは何と言っても「山門」にあり!
もと城端町善徳寺に建立されていましたが、寛政12年(1800)、善徳寺に現在の桜門が造営されることになったので、翌享和元年、当寺に譲られました。 善徳寺は戦国時代の永禄2年(1559)、城ヶ端城主荒木大膳が城地を提供して招請したと伝えられ、この門は当時の城門です。
(砺波正倉より引用http://1073shoso.jp/www/index.jsp)
元々は違うお寺(城端別院善徳寺)にあったものをこの地に移設したんですね。
確かに中々の雰囲気はありました。
因みに富山県の有形文化財です。
県内では見られることのできない、特殊な薬医門と呼ばれる特徴があるらしい。
小さいけれども、今も残る戦国時代の貴重な山門が見れました。
萬福寺山門
萬福寺山門(横から撮影)
萬福寺山門(解説)
続いて脚を運んだのが、
「城端別院善徳寺」
場所:富山県南砺市城端405
南砺市の城端という場所にその寺院は建っている。
あれ?「城端別院善徳寺」って何処かでこの名前見ませんでした?
少しページの上をもう一度見てください。
そう、上記で紹介した「萬福寺山門」が元々あったお寺にも行ってきました!
やはり歴史は点ではなく、線で辿った方が面白いですから。
と、そんなカッコいい事言ってますが
①奇跡的に最初に行った萬福寺がまず行きつけのスーパー銭湯のすぐ近くだったこと
②城端別院善徳寺が実は出張先で借りてるアパートのすぐ裏だったこと
の二つの奇跡が重なってこうして歴史を線で辿ることができました。奇跡ってあるんですね。
城端別院は真宗大谷派の寺院で寺号を善德寺、山号を廓龍山と号す。蓮如上人が吉崎に於いて精力的な布教をされていた頃、本願寺第五代綽如上人の孫である蓮真は蓮如上人の願いにより現在の石川県と富山県の県境にある砂子坂に文明年間(1470年頃)に一寺を建立し、蓮如上人を開基、自身を第2世とした。その後、布教活動とともに寺所を移転し、第5世祐勝の時代に現在の城端町に移転してきた。
第6世空勝は本願寺と織田信長との石山合戦に参戦し、あくまで本願寺を死守しようとする教如上人(東派1代目)に協力し尽力を尽くした。この事が後の東西分派で善德寺が東派になる事や、江戸時代に於いて越中東方の最有力寺院としての地位や役割を果たす事になった。
また江戸時代には加賀藩前田家の庇護のもと、越中の触頭役(頭寺)を勤め隆盛し、時には加賀藩主の子を住職として迎えることもあった。
以来、聞法の場として地域の方々に慕われ支えられて今日に至っている。
(善徳寺公式HPより引用http://www.zentokuji.jp/)
そんな城端別院善徳寺ですが、本来ならばそこそこ観光スポット的な寺院なのですが、現在大規模修復工事中でして、ほとんどの建造物を見ることができませんでした・・・。
しかも宝物館も工事の影響で何故か展示を中止していたという謎の事案が発生。
意気消沈で足早に帰路につきました。
しかし、山門も非常に立派でさすが彫刻に名を馳せている越中の造りだ!と感心したものであります。非常に大きかったし。
今度は工事が終わってからいきたい!と思いました。
城端別院善徳寺山門
城端別院善徳寺本堂
城端別院善徳寺宝物館説明
今回は富山県の歴史深い二つのお寺に行けました。
実はこの二つは非常に密接な関係があったんですね。
またにはこういう知られていない寺社仏閣に行くのも乙ですね。
さて、今回の番外編はこれにて終了。
次回はどこに出没するか乞うご期待!ということで。
アディオス☆
(笑)
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