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ワタナベのワタナベによるワタナベのためのブログ
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どうもみなさんこんばんは。
本日は番外編も含めて2回目の更新です。
暇を持て余している熱狂的な当ブログファンの要望で暇な時は複数回の記事を書こうと思います。果たしてちゃんと見ているのかなぁ。
そんな本日は「化け猫のはなし」です。
今回お話する話は普通に化け猫の話をしてもあんまり面白そうではないので、「鍋島の化け猫騒動」について話そうと思う。
まず、「鍋島」というのは高校の時日本史の科目をとっていた人や戦国時代好きな方なら分かるだろう。
鍋島は鍋島藩、つまり佐賀藩のことを指し高校の教科書では明治維新の時に活躍した雄藩として登場する。当時の佐賀藩主の鍋島直正が役人の削減や借金の棒引及び割賦50年認めさせることなどの財政改革、そして藩校・弘道館を設立し教育改革を行ったりと様々な藩の改革を行い、尽く成功させたことで歴史に名を刻んだ。「薩長土肥」の肥はまさしく、肥前国である佐賀藩のことでそれほど明治維新に目覚ましい活躍を果たした。
戦国時代が好きな方は、「ああ、龍造寺から家を乗っ取ったあいつか」と思うのではないだろうか。戦国時代にはその佐賀藩の藩祖である鍋島直茂が有名。信長の野望でも非常に優秀な武将で、使い甲斐がある。
おっと、信長の野望の話は今は関係無かった。危うく大好きな信長の野望の話に逸脱するところだった。
その「鍋島」の化け猫騒動に今回は焦点を当てよう。
鍋島藩が成立する少し前、戦国時代からこの騒動の経緯をお話する。
戦国時代に肥前を治めていたのは龍造寺氏という九州地方では珍しい国人から下克上で成り上がりを果たした大名家の一族。中でも龍造寺隆信の頃に全盛を極め、あの島津家と並ぶほどの勢力を確立させた。
しかし、龍造寺隆信は1584年の沖田綴の戦いで有馬・島津連合軍に敗れ討ち死にをしてしまう。
その当時、龍造寺家の家老だった鍋島直茂は龍造寺隆信の死により次第に龍造寺家の実権を掌握していく。
龍造寺隆信の嫡男である龍造寺政家が跡を継ぐのだが、朝鮮出兵の直茂の活躍などにより龍造寺家臣団は政家ではなく直茂の方に傾倒していくなど、徐々に直茂の傀儡となっていった。
そういったこともあり、政家と直茂の不和が生じるようになる。
結局実権を直茂、そして子の勝茂(初代・佐賀藩主)に完全に奪われ佐賀藩は名を龍造寺、実は鍋島という二重体制が確立されてしまう。
政家は程なくして隠居をし子の龍造寺高房が跡を継ぐ。その高房は実権を龍造寺の元に回復させるために奔走するが、結局失敗に終わりこれに憤慨した高房は自殺未遂をする。一命をとりとめたもののその傷が元で死んでしまうのであった。
すると、その死後すぐに隠居していた父の政家も死去。これにてお家は断絶してしまうという悲劇で龍造寺家は終焉を迎えてしまった。
それ以来、龍造寺の残党が佐賀城下の治安を乱し、直茂は龍造寺の霊を鎮めるために天佑寺を建立した。
そして、この史実である「鍋島と龍造寺の遺恨」が後述する「化け猫騒動」への遠因というか、発端となる。
少し時代は経過し、二代佐賀藩主の鍋島光茂の時である。光茂の碁の相手をしていたのが家臣の龍造寺又七郎という者であった。
又七郎はその碁の最中に、光茂の機嫌を損ね、なんと、惨殺されてしまうのである。
又七郎の母親も飼っていた“猫”に胸中の悲しみを吐露し自殺をする。その猫が自殺した又七郎の母の血を嘗めて「化け猫」となり佐賀城の光茂を毎晩苦しめたのだという。
それを家臣の小森半左衛門が退治し、光茂を救い鍋島家は事なきを得た、という伝説が今に伝わる「鍋島の化け猫騒動」なのである。
前述した「鍋島と龍造寺の遺恨」が想像上の猫の化け物である化け猫の怪異で表現され、このような化け猫伝説が生まれたらしい。
さらに、後世にこの両家の遺恨が脚色されて
このような怪談へと発展したものだと考えられている。
そして、これは後に芝居化や講談、実録本として広く知れ渡り現代にも「鍋島の化け猫騒動」として伝わっている。
先日の6月15日の佐賀新聞にこんな記事が載っていた。
「佐賀に人魚伝説?! 鍋島家ゆかりの寺に謎の掛け軸」
佐賀に人魚伝説? 佐賀市本庄町の東光寺に、年老いた「人魚」を描いたとみられる謎の掛け軸がある。胸から下は魚、肩口までうろこをまとったその姿は、確かに人魚。笑っているのか、むき出しになった牙の隙間から真っ赤な舌がのぞき、目を見開いて振り返る様子は、見る人が声を上げるほど、おどろおどろしい。
「いつ誰が何のために描いたものか、全てが謎」と住職の三浦祥善さん(68)。絵に落款はなく、裏側は白紙で日付も作者の名前もない。
東光寺は佐賀藩祖・鍋島直茂の父清房の代まで祖先供養する氏仏(うじぼとけ)として崇敬され、その後も直茂が薬師堂や厨子(ずし)を建造するなど、鍋島家とゆかりが深い。
かつては絵が見えにくいほど表面が黒ずんでいた。20年ほど前に「どう描かれているのかよく見てみたい」とクリーニングで汚れを取り除いたところ、舌の鮮やかな赤色が現れ、「不気味な容姿にあらためてびっくりした」という。
(佐賀新聞 2017.6/15 より引用)
どうだろう。恐るべき佐賀藩。
化け猫伝説に続いては「人魚伝説」。
あぁ、恐ろしい佐賀藩。化け猫なんて序の口かも、、、?
ふぅー。初夏には少し早く不気味なホラー話を今回取り上げました。
え?別に怖くないって?
そんなことおっしゃらないでくださいよ。
でもね、本当に怖いのは妖怪でも幽霊でもなく、人間なんですよ・・・。
もしかしたら佐賀は妖怪の宝庫なのかもしれませんね。
私も佐賀には行ったことありませんので機会があれば佐賀へ行ってみます!
(吉野ヶ里遺跡とか 笑)
この夏はみなさんも冷んやりしにホラーな伝説の宝庫、佐賀へ!!
それではまた明日。
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