ナベログ!
ワタナベのワタナベによるワタナベのためのブログ
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どうも本日もお疲れ様です。
昨日は夜遅くまで社内行事で更新ができませんでした。
決して三日坊主ならぬ、四日坊主ではないので悪しからず!
そんな本日は「路面電車のはなし」というタイトルで執筆させていただこうと思っております。
念のためはじめに言っておきますが、路面電車についての話ということなので鉄道オタクなのかな?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが決して鉄道オタク、所謂 “テツ” ではありません。
でも、路線図なんかは一日中眺めて居られるのでテツの素質はあるのかも?
前置きはこれくらいにしまして、お話の方を始めさせていただきます。
本日(6/10)はなんの日かご存知だろうか?
私も全くしらなかったのだが、6月10日は
「路面電車の日」だと言う。
この路面電車の日の制定のあらましは、1995年に路面電車をもつ自治体がこの6月10日に「路面電車サミット」というサミットを開催し、
6(ろ)10(でん)=路電※(ろでん)
という語呂合わせから「路面電車の日」という記念日を設立した。
※路面電車の略
案外、最近に出来た記念日みたいである。
さて、ここで話を少し変える。
みなさんは「アントニオ・ガウディ」という人物をご存知だろうか。
恐らく、多くの人が耳にしたことがあるだろう。
彼はスペイン出身で、かの有名な「サグラダファミリア」を手がけた言わずと知れた20世紀を代表する名建築家である。
因みにサグラダファミリアは1882年に着工し、今現在も完成していない。完成予定は2026年という発表があるが、本当にその時に完成しているのかは不明である。
おいおい、なんでアントニオ・ガウディの話なんかしてるんだ?と、疑問に思っていらっしゃる方もおりますことでしょう。
勘のいい方は気づくかもしれませんが、本日(6/10)はアントニオ・ガウディの命日なのである。
おいおい、それでなんでアントニオ・ガウディの命日に路面電車が関係あるんだよ?とまた疑問に思う方もいるでしょう。
勘のいい方はお分かりでしょう。
そう、奇しくもアントニオ・ガウディの死因はなんと
「路面電車に引かれたこと」
なのだ。
事実は小説より奇なり という言葉もあるがこの話もなんとも奇妙な話である。
路面電車の日にはそんな恐い事実もあるんだと、ご紹介でした。
明日誰かに話したくなったでしょう?
さて、話を“軌道修正”しよう。
路面電車は軌道線とも呼ばれる。
そうこの「軌道修正」も路面電車に深く関わる用語だということもここで付け足しておこう。
現在、日本国内で稼働している路面電車は北は北海道、南は鹿児島で走っており19もの路面電車が街中を往来している。
(もしかしたら少し古いデータなので減っているかも・・・)
有名な路面電車を挙げると、東京の荒川区を走っている「都電荒川線」が有名であろうか。
実は今回この路面電車について調べていた時に知ったのだが、「東急世田谷線」も路面電車なのだという。
世田谷の大学に通っていたのに知らずに誠に恥ずかしい。
路面電車と聞くと昔に走ってたんでしょ?と私の年代からすると思ってしまうが、結構国内ではあちこちで走っているということがよく分かった。
因みに、私乗車したことのある路面電車は一つしかなく、富山県の高岡市と射水市を走っている「万葉線」しかまだ乗ったことがない。
今度、路面電車のある都市へ行って乗ってみたいと思う。
今私の住む新潟にもかつて路面電車が走っていたと以前聞いて驚いが、本当に昔は路面電車はかなりメジャーな乗り物だったのである。
今も新潟の白山公園の前を見てみると確かに停留所の名残というか、確かにここにあったのだろうという感じが分かる。
近年では排気ガスが出ないエコな乗り物として注目が集まっているらしい。
各自治体も、もう一度路面電車復活!なんかもいいのかもしれませんね。
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こんばんは。
ブログ第2回目です。
今はスイスイ更新していますが、これが継続出来るかが一つのポイントです。
さて、本日は枡記号についての話をしたいと思います。
これまで23年間生きてきた中でやはり知らないことが多すぎる!と日々実感しますが、今回の枡記号もその一つであります。
枡記号を知った経緯を簡単にお話いたしますと、今年の1月に新たな居住へと引越しをしたのですが、その新住居の近隣の呉服屋?のような謎の商店のような?そんな雰囲気の会社があるのを発見しました。
その会社の掲げている看板にこのような文言があり、私はハッとしました。
「〜承り〼」
ウケタマワリ〼?なんだこの四角の中に斜線がある記号は?というのがファーストインプレッションでした。
まぁ、それでもよくよく考えてみると「承り」の後に続く文言として「ます」しか無いだろう、と。確かにこの記号をマジマジと見ると枡っぽい気がすると、そう思いました。
この、謎の記号が気になり居ても立っても居られなくなってしまった私は早速Google先生で調べて見ることに。
検索結果としては案の定これは「ます」と読むことが判明。
記号の形状も枡を表現しているので私の勘は一応ドンピシャというわけである。
江戸時代にはこの枡記号は多く使われていたらしい。近年になって次第に使用頻度が減っていきこの記号を見ることが少なくなっていったようだ。
どうりでこんな特殊な記号は知らないわけである。
いや〜でも昔の人は面白いことを考えるなぁと関心する。
駄洒落がお洒落になるなんて!本当に発想に驚くしかない。特に江戸時代ってそういうことが多いイメージなので江戸文化ってやっぱ凄いなぁと思う。
使用頻度が減った近年こそこの枡記号を使用するというのは本当にお洒落で目を引くと思うので経営者的には大成功事案なのだろと想像はする。
今回の枡記号で私もまた一つ勉強になった。
世の中知らないことばかりで私の知的欲求が段々と駆り立てられ満たされていき日々楽しい。
これからも精度の高いアンテナを張り巡らして面白くて為になることを探していこうと思える今回の発見でした。
私もそれを楽しみに日々頑張り〼!
ブログ第2回目です。
今はスイスイ更新していますが、これが継続出来るかが一つのポイントです。
さて、本日は枡記号についての話をしたいと思います。
これまで23年間生きてきた中でやはり知らないことが多すぎる!と日々実感しますが、今回の枡記号もその一つであります。
枡記号を知った経緯を簡単にお話いたしますと、今年の1月に新たな居住へと引越しをしたのですが、その新住居の近隣の呉服屋?のような謎の商店のような?そんな雰囲気の会社があるのを発見しました。
その会社の掲げている看板にこのような文言があり、私はハッとしました。
「〜承り〼」
ウケタマワリ〼?なんだこの四角の中に斜線がある記号は?というのがファーストインプレッションでした。
まぁ、それでもよくよく考えてみると「承り」の後に続く文言として「ます」しか無いだろう、と。確かにこの記号をマジマジと見ると枡っぽい気がすると、そう思いました。
この、謎の記号が気になり居ても立っても居られなくなってしまった私は早速Google先生で調べて見ることに。
検索結果としては案の定これは「ます」と読むことが判明。
記号の形状も枡を表現しているので私の勘は一応ドンピシャというわけである。
江戸時代にはこの枡記号は多く使われていたらしい。近年になって次第に使用頻度が減っていきこの記号を見ることが少なくなっていったようだ。
どうりでこんな特殊な記号は知らないわけである。
いや〜でも昔の人は面白いことを考えるなぁと関心する。
駄洒落がお洒落になるなんて!本当に発想に驚くしかない。特に江戸時代ってそういうことが多いイメージなので江戸文化ってやっぱ凄いなぁと思う。
使用頻度が減った近年こそこの枡記号を使用するというのは本当にお洒落で目を引くと思うので経営者的には大成功事案なのだろと想像はする。
今回の枡記号で私もまた一つ勉強になった。
世の中知らないことばかりで私の知的欲求が段々と駆り立てられ満たされていき日々楽しい。
これからも精度の高いアンテナを張り巡らして面白くて為になることを探していこうと思える今回の発見でした。
私もそれを楽しみに日々頑張り〼!
どうも、お疲れです。
本日から私の日記や備忘録的な意味合いを含めてブログを執筆することに決めました。
特に誰かに見せるという事に意味があるのではなく、近い将来に私がこのブログを見返した時に「ああ、こんなこと書いたなぁ」などと思えることに意味があるのではないかと思います。
因みにこのブログは何を書いていくのか、というと「私が日々思った面白い事・興味関心」を書いていこうと思っております。
そういう意味では書く内容が偏ってしまうかもしれませんが、自分しかみないのでそれは特には気にしませんし誰からも文句は言われないでしょう。
さて、このブログの趣旨はこれくらいとしまして記念すべき本日、第1回目は何について書くかというと
「偏諱のはなし」について書こうと思います。
歴史好きの私からすれば、「Wikipedia」というサイトは欠かせない。
歴史好きだからと言って欠かせないか、と言うとそう言うわけでは無いと思うが兎に角私は日本史の用語やら人名やら気になった事を良くこの「Wikipedia」で調べる。Wikipediaはどのページも似たような構成になっているので見やすいというのもあるし、上手く纏まっているので結構分かりやすい。そういうこともあって頻繁に利用させていただいている。
そんな中で、日本史特に最近では戦国時代について関心があるので「この戦国武将って何したんだっけか?」などと考え、Wikipediaで戦国武将の名前を入力して調べてみる。
そうすると、そこそこ次のような項目が見受けられる。
「偏諱を与えた人物」
私としてはナンダソレ?である。
偏諱ってなんだよ!というとこから今回この「偏諱」について調べてこの偏諱について書こうとした。少し経緯が長くなってしまったがご容赦願いたい。
まずこの「偏諱」読み方は「へんき」と読む。恥ずかしながら調べるまで読み方が分からなかった。漢字って難しいね。「かたいみな」とも読む。
今回はWikipediaではなくgoo辞書より引用した
「貴人などの二字名の中の一方の字を忌 (い) み避けること。また、その二字名の一方の字。」
そしてコトバンクからも引用
「もと中国で、貴人の本名が二字の場合、一方の字を忌み避けて口にしなかったことから」
調べると、元々中国ではお偉いさんの名前が二字の場合に一方を避けるという風習があったのだと言う(例えば ▲△の場合 ▲の方を口にしないなどで避ける)らしい。
これが転じて、二文字のうちの一方の字を「偏諱」という意味になったのだという。
少し話を戻す。良くWikipediaの戦国武将の項目にある「偏諱を与えた人物」という言葉考えると、「あれ?意味避けてたのに与えるの?」と思ってしまうが回り回って偏諱は忌み避けるモノから、与えるものへと変わって言ったのだというから面白い。
「偏諱を賜る」というらしいが、位の高い戦国武将の一字を賜って息子の名前を付ける、ということが戦国時代には横行したようである。
勿論、本来の意味の名前の一字を避ける習慣も戦国時代にはあったようで当時の将軍の偏諱を避けて改名した、という事例も少なくは無い。
偏諱を賜った例をあげればキリがないが分かりやすい例で行くと徳川秀忠などが分かりやすいか。
秀忠の「秀」は当時の天下人である豊臣秀吉の「秀」という偏諱を賜ったものである。
これを知った時は非常に驚いた。たしかに徳川家は名前に高確率で「家」が付いているのに(これも偏諱を賜っているが)なんで二代将軍の秀忠は全然かすりもしないのだろう、と疑問に思っていたが一気に解決した。
元々、忌み避けるていたものが時代の流れによってそれを積極的に貰っていく、というのはとても興味深い。
本当に歴史って面白いですね。
さて、まだまだ書き足りないのだが本日はこれに筆を置くことにします。
私も将来、誰かに偏諱を与えられるような人物に、なりたいと思いながら床に就くことに致しましょう。
それではまた明日!
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