忍者ブログ

ナベログ!

ワタナベのワタナベによるワタナベのためのブログ

2025/05    04« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  »06
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



はい、どうも。
誰も見ていなくても更新する、これがこのブログのモットーなので本日も更新だ!!!

このブログの本来の趣旨に戻りつつあります。


さて、本日もまた歴史のはなしを。


タイトルは

「陸軍三長官のはなし」

です。


それでは、いきましょう!




陸軍三長官というのは旧日本陸軍の最高幹部の3つの役職のことを指す。

具体的に言うと、

・陸軍大臣
・参謀総長
・教育総監

の3つの役職である。



Wikipedia先輩は、やはり簡潔にまとめられてて良い。いつものごとく拝借したい。




大正初期から、将官人事はこの三長官が合意とすることが慣例となった。清浦内閣の陸相人事をめぐって揉めた際、「三長官合意」を論拠として宇垣一成が陸相となった。それはその後も慣例として続き、陸軍の幹部人事について三長官が会議を開くことが陸軍省参謀本部教育総監部関係業務担任規定で明文化された。軍部大臣現役武官制が復活した際は、この三長官合意を盾に、陸相を推挙しないなどの行動によって、組閣断念や倒閣となることがあった。

ただし、三長官会議の決定は、外部からの影響を一切受け付けないものでもなく、決定した後に覆して別の決定ができないものでもなかった。阿部内閣の組閣時に一時は多田駿を後継の陸相に決定した陸軍三長官会議の合意が、昭和天皇が、畑俊六または梅津美治郎のどちらかからの指名を希望されたことにより、再考の上で畑俊六を後継陸相とすることを三長官会議で再合意とした。また、第1次近衛内閣において杉山陸相から板垣陸相へ更迭が行われた例でも陸軍三長官会議に先だって近衛首相の主導で内閣・宮中からの工作が行われ、三長官が追認することとなった。

また、三長官本人の異動に当たっても三長官合意が必要とされたため、1935年の真崎甚三郎教育総監の更迭時のように、更迭を望む陸軍大臣と更迭を拒否する教育総監が三長官会議の席で激論になることもあった(この時は参謀総長の閑院宮載仁親王が「お前は陸軍大臣の事務の遂行を妨害するのか」と林銑十郎陸軍大臣側に立って発言したため更迭が実現している)。

戦後、三長官合意は絶対的なものでなくなった。東久邇宮内閣発足に当たって、三長官会議では土肥原賢二が陸相に推挙されたが、東久邇宮首相は同期の下村定を陸相とした。

(Wikipediaより引用)




要するに、この陸軍三長官の会議の決定により軍部内の重要事項を決定することが慣例とされていた。

上記にも書かれているが、この陸軍三長官会議と軍部大臣現役武官制のタッグで組閣を阻止したり、倒閣したりと何度もこの絶対的権力で歴史を動かしてきた。



では、詳しくこの三長官の役職はどのような職務なのか見ていこう。




【陸軍大臣】
陸軍省のトップのことで、おもに「軍政」を司っていた。陸軍の維持管理などを行う最高責任者である。
大将、中将が任命された。

【参謀総長】
天皇直隷の組織であった参謀本部の最高責任者。軍隊の指揮、戦争の作戦の指導を行い「軍令」を司っていた。
元帥、大将がこのポジションに着くことが通常であった。

【教育総監】
天皇直隷の教育総監部の最高責任者。将兵の「教育」を司っていた。
主に大将、中将がつとめた。


まぁ、簡単に言うとこのような感じである。


よく、「結局、この中で1番偉いのは誰なの?」という質問があるが、この三長官は同格とされておりだれが格上とかは無かった。


しかし、やはり天皇直隷で軍の指揮をつかさどり、予算の決定も可能であった「参謀総長」の実権は非常に強かったとされる。
また、参謀総長は元帥または大将しかなれなかったこともあり、矢張り格上感が否めない。




この陸軍三長官のポスト全てに就任したのは歴史上で2人しかいない。
それは、「上原勇作」と「杉山元」である。

上原勇作は日本史の教科書にもでてきたので有名であるが、杉山元は一般的な人ならあまり知らないか。
杉山元といえば、「杉山メモ」で有名かもしれない。参謀総長時代の会議をメモしたものが終戦時に残っており軍上層部や政府の動向などが良く分かる資料として現代でも書籍化などされ公開されている。
書店に行けば「杉山メモ」が置いてあるかと思うので是非見てみることをオススメする。





因みに海軍でも三長官は存在した。

・海軍大臣
・軍令部総長
・連合艦隊司令長官

の3つの役職であった。

しかし、海軍三長官は陸軍のように絶対的な権威は無く、三長官会議で重要事項が決まってしまうことはなかったようである。





さて、どうであろうか。
なんか、“三長官会議”という響きがかっこよくないか。

いくら名前がカッコよかろうが、陸軍三長官の決定により多くの歴史が動いてきたことは明白で結果として、日本は悲惨な運命を辿ってしまった。


こういった、軍上層部のことを研究することで、日本の敗戦の原因を追究する1つの切り口であると思う。

個人的にこういったことから、「戦争」というものを研究していきたいと考える。


みなさんも、一緒に研究しよう。








ということで終わります。

陸軍三長官って意外にも2人しか全ポジションやってないんですね。
山ほど有名な軍人がいる中でこの微妙な2人という、、、

教育総監になるのが珍しいのかな?それとも参謀総長が難しいのかな?


何にせよ3つやっているのは凄い。
トリプルクラウンですね。



ということで本日は終了。


おやすみなさい。

拍手[0回]

PR
お名前
タイトル
メール(非公開)
URL
文字色
絵文字 Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメント
パスワード   コメント編集に必要です
管理人のみ閲覧

プロフィール

HN:
ワタナベ
性別:
男性

P R

カレンダー

04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

バーコード

忍者カウンター

<< Back  | HOME Next >>
Copyright ©  -- ナベログ! --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]