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ワタナベのワタナベによるワタナベのためのブログ
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どうもお疲れ様でう。
本日もよろしくお願いしまう。
土曜日なので元気に更新いたします。
そんな本日ですが、何回連続で歴史系のはなしを書いてるのかわかりませんが本日もまさかの歴史系の話です。
あんまり歴史に興味がない方には申し訳ありません。
(といってもこのブログ見てるの1人しかいないから別にいいか・・・)
もっとブログファンが増えたらバリエーション豊富にやってきたいと思いますので今回は御容赦下さい。
さて、本日は「東京裁判のはなし」です。
1946年5月3日から1948年11月12日にかけて行われた連合国が日本の戦犯を裁いた軍事裁判を「東京裁判」と呼ぶ。
正式には「極東国際軍事裁判」という。
いわゆる戦争犯罪人として、裁判中に病死した2名と病気によって免訴された1名を除く25名が有罪判決を受け、うち7名が死刑となった。
よく聞く「A級戦犯」と呼ばれる戦争犯罪人が主に裁かれた。
【関東軍関係 】
・板垣征四郎
・南次郎
・梅津美治郎
【特務機関 】
・土肥原賢二
【陸軍中央 】
・荒木貞夫
・松井石根
・畑俊六
・木村兵太郎
・武藤章
・佐藤賢了
・橋本欣五郎
【海軍中央 】
・永野修身
・嶋田繁太郎
・岡敬純
【総理大臣 】
・広田弘毅(外交官)
・平沼騏一郎(司法官僚)
・東條英機(陸軍)
・小磯国昭(陸軍)
【大蔵大臣 】
・賀屋興宣
【内大臣 】
・木戸幸一
【外務大臣 】
・松岡洋右
・重光葵
・東郷茂徳
【外交官 】
・大島浩(駐ドイツ大使)
・白鳥敏夫(駐イタリア大使)
【企画院総裁 】
・鈴木貞一
・星野直樹
【民間人 】
大川周明(思想家)
もう、錚々たるメンバー。特に軍関係者は太平洋戦争のオールスター的な人物が揃い踏みである。
また、軍関係者の一覧を見ると陸軍が多くを占めているのが分かる。やはり、それほど太平洋戦争は陸軍による暴走が目立ったということである。(海軍が有能揃いということもあるが)
ともかく、上記計28名がA級戦犯として起訴。このうち永野修身と松岡洋右が判決前に病死、唯一の民間人である大川周明が精神障害により不起訴となり結果として25名が判決を受けることとなった。
(因みに大川周明の精神障害は恐らく詐病で、馬鹿になったフリをして判決を免れたという伝説がある。
大川周明、東條英機を叩く
こちらのリンクを見ていただきたいのだが、大川周明が裁判中にも関わらず前の席にいた東條英機の頭を叩くのは余りにも有名である。)
この東京裁判、結局は勝者が敗者を裁く裁判としてこんな裁判有りなのか、という裁判であった。連合国が選定した裁判官が自由に裁けるのだからそれはもう裁判ではないだろうと、様々な問題点があったのだが、そこは勝者のいいなり。
判決として死刑をはじめ、終身刑、有期禁錮と25名全員が有罪判決を受けることとなった。
そうそう、この裁かれた方々は全員「A級戦犯」であるが定義を知っているだろうか。
戦犯いくつかに分類されており
A級⇨「平和に対する罪」
B級⇨「通例の戦争犯罪」
C級⇨「人道に対する罪」
という定義付けがされている。
従って、A級戦犯だからといって1番罪が重いということは無く、BC級と罪の重さは変わらない。
むしろ、BC級戦犯というのは捕虜の虐待や大量殺人の実行者、そしてそれの指揮者が指定されるのでありこちらの方が残虐であるとも言える。
BC級戦犯は約1000人もの犯罪人が死刑に処されたという事実も知っておくべきであろう。
話を戻すが、東京裁判では数々の問題点もあったのだがこうして多くの戦争犯罪人が重い判決を受けた。
しかしながら、裁判官の中にもやはりこの戦争に疑問を持つ裁判官もいた。
それが、インドから派遣されたパール判事。
判事の中では唯一の国際法の専門家であっり、裁判では平和に対する罪と人道に対する罪とが事後法にあたるとして全員無罪を主張した。
無罪を主張したことで日本では著名な方である。
しかしながら、当時の勝者の裁きの流れの中でこのような主張をするというのは非常に芯の強い、判事であったのだろうと思う。
今も日本ではパール判事の主張を賛美する声も多くあり、東京の靖国神社には「パール博士顕彰碑」が建てられ、その功績が讃えられている。
A級戦犯でも極刑に処されたのは以下の7人。
・土肥原賢二
・松井石根
・東条英機
・武藤章
・板垣征四郎
・広田弘毅
・木村兵太郎
7人中6人が軍人でしかもその6人全員が陸軍の軍人。そして唯一の文官で元総理大臣の広田弘毅が死刑となった。
個人的な見解だが、この中でも武藤章の極刑というのは何とも不可解なような気もする。一番の要因はフィリピンでの虐殺の指揮官だったことが挙げられているが、それならば何故A級戦犯として裁かれたのか。
そして、終戦時に現地で起訴されていない点においてもよく分からない。
階級もこの中では唯一の中将であるし、開戦時も軍務局長であったとはいえそこまで責任があるとも思えない。
武藤章の処置についてはいささか疑問ではある。
その他の人物は非常に戦中には重要なポジションにいた人物であるので、これについてはまぁ納得のところはある。
特に多くの人がA級戦犯といえば東條英機を思い浮かべるのではないだろうか。
東條英機も開戦してからの悪いタイミングで総理大臣になってしまって同情するところはあるが、やはり罪は重いだろう。
この7人の遺骨は現在、愛知県西尾市東幡豆町の三ヶ根山にある「殉国七士廟」に祀られている。
東京裁判というのは非常に不明瞭な裁判であることは間違いなく、この裁判は正しいものかというとそうではないかもしれない。
ただ、多くの疑問が残るがやはり戦後の区切りやケジメとしてこの東京裁判というものは必要だったのだろうと思う。
こういった経験を過去にしていることこそが、今後の日本の未来に繋がるのではないか。過去の教訓を学んで、これまで以上によりよい日本を歩んでいってほしいものだ。
やっぱり平和が一番!!
ということで、今回の話は終わりです。
少しでも東京裁判について知っていただければ幸いです。
最後に東條英機の辞世の句を貼って寝ます。
「我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば」
「さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根に花薫るとき」
「散る花も落つる木の実も心なき さそうはただに嵐のみかは」
「今ははや心にかかる雲もなし 心豊かに西へぞ急ぐ」
それでは、また明日。
good night!
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