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ワタナベのワタナベによるワタナベのためのブログ

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どうも〜
こんばんわ〜 お疲れ様〜

なんか「〜」を語尾につけるとオネェっぽくなりますね〜

そんな本日も少しだけ更新です。


またまたミニ歴史で申し訳ないですが、お付き合いいただければと思います。


本日のタイトルは
「浜田国松vs寺内寿一」 です。


え?一体全体なんの対決だって?とお思いの方いらっしゃるでしょう。

ボクシング?いや違います。
プロ野球?でもないです。


実はこれ、国会での本議会でのやり取りの事なんです。口論、つまり言い合いですね。


いわゆる、「腹切り問答」と言われています。
腹切り問答って私の記憶では教科書にも載っている結構重要な事項かな?と思いますが、みなさんは聞き覚え・見覚えありますでしょうか。


歴史的には

「広田弘毅内閣の総辞職の原因」

としてよく知られています。



では、この浜田国松vs寺内寿一の
「腹切り問答」とはなんなのでしょうか?
少しだけみてみましょう。



この珍事は1937年1月21日の第70回帝国議会でおきます。

以下はWikipedia先生より引用します。



《事件の経過》
この日、第70回帝国議会において政友会の浜田議員が「近年のわが国情は特殊の事情により、国民の有する言論の自由に圧迫を加えられ、国民はその言わんとする所を言い得ず、わずかに不満を洩らす状態に置かれている。軍部は近年自ら誇称して…独裁強化の政治的イデオロギーは常に滔々として軍の底を流れ、時に文武恪循の堤防を破壊せんとする危険がある」と二・二六事件以降の軍部の政治干渉を痛烈に批判する演説を行った。この時浜田は議員歴30年、前衆院議長という議会の長老で、それだけにこの演説は党派を超えて多くの議員を唸らせるものがあった。

これを聞いた寺内陸相は答弁に立って「或は軍人に対しましていささか侮蔑されるような如き感じを致す所のお言葉を承りますが」と険しい表情で反駁。ところが浜田が2度目の登壇で「私の言葉のどこが軍を侮辱したのか事実を挙げなさい」と逆に質問をしたため、寺内は「侮辱されるが如く聞こえた」と言い直した。それでも浜田は3度目の登壇で「速記録を調べて私が軍を侮辱する言葉があるなら割腹して君に謝罪する。なかったら君が割腹せよ」と激しく寺内に詰め寄った。これに寺内は激怒、浜田を壇上から睨みつけたため、議場は怒号が飛び交う大混乱となった。

《事件の結果》
政府は収拾策を見出すために天皇に裁可を仰いで議会は翌日より停会となった。寺内は「政党が時局に対して認識不足」として、政党に対し反省を求める意味で議会解散を強く廣田首相に要求、解散しないなら単独辞職すると言い放った。総理はもとより、海軍予算の成立を急ぎたい永野修身海相が寺内の説得に乗り出したが、へそを曲げた寺内は結局これに応じず、広田は閣内不統一を理由に内閣総辞職した。

(Wikipediaより引用)



なんともまぁ、物騒な言い争いなのですが、当時の陸軍大臣であった寺内寿一は相当あたふたしていたようですね。
それはもうベテランの浜田国松にこれだけ言われてやり込められたしまったわけですのでそうなるのも仕方ないです。

勿論、この口論は浜田国松の圧勝。寺内寿一は広田首相に解散を迫り、単独辞職する意向を述べ軍部大臣現役武官制により解散・総辞職を余儀なくされました。


この後、林銑十郎⇨近衛文麿と首相はうつっていきますが、その過程で日本は軍部の力が次第に協力になっていき日中戦争にどっぷりと足を使ってしまい抜け出せなくなり、そのまま第二次世界大戦へと進んでしまいます。



軍部の批判をしたのにも関わらず、皮肉なことにこれは結局ますます軍部の政治支配を強めてしまう遠因になってしまうんですね。
そして、第二次世界大戦へと発展してしまうという残念な結末に・・・。




こんな些細な一言から内閣が瓦解してしまい、日本の運命が変わってしまうというのは怖いですね。

まさに口は災いの元です。



余計な事は言わないに越した事はないですね。


さて、まぁ本日はこれで終わります。
こんな謎な事件があったんだー、程度に覚えておいてください。




最後に豆知識として、この事件の発端となった当時の陸相・寺内寿一はなんと皇族を抜かせば陸海軍で唯一の親子二代で元帥になった人物です。

察しのいい方は気がつくかもしれませんが、寺内寿一の父は陸軍出身の第18代首相、「寺内正毅」です。
実は親の七光り的なこともあったんですね。


寺内寿一は戦中に首相候補になったこともあり、それが実現していたら「親子二代での首相」になったかもしれないという幻の話しもあります。




と、豆知識も披露したところで本日は終了ですね!



では、また明日!

おやすみなサイ・ヤング賞!



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